イントロダクション・オブ・市野倉北町会
昔も今もいいとこだ
わかまち池上のわがまち市野倉の北町会を自慢します。
いいところです。住みよいところです。明るいところです。安全安心なところです。
市野倉は、武蔵野国荏原郡市ノ倉村と呼ばれていました。東京府東京市の時代では、東京府荏原郡池上村字市野倉となり、大森区市野倉町、大田区市野倉町となり、住居表示法により昭和40年に地名としての市野倉は消えました。しかし、市野倉交番とか、大森消防署市野倉出張所とか、市野倉睦とか町会名とかの名称は、消えていません。また、生まれ住む私達の心の中には、いつも、自分は池上市野倉の人間だという思いが生き続いています。いけがみいちのくらと頭にいろはのいの字がつく市野倉人の気質は、いの一番が大好きなちょっと見栄っ張りなところがあるように思われます。
市野倉のエリアは中央六丁目、七丁目の全域と中央四、五丁目、池上一丁目の一部にまたがる区域。当北町会は、池上旧道(平間街道)の北側で、太田神社の宮元、また菩提寺の長勝寺もあります。新井宿地区、馬込地区と隣接し、市野倉南町会・桐里梅田町会・堤方北町会と境を接しています。
信号機なんかないのだ
以前は商店会もあったのですが、現在はほとんどが住宅地となっています。そんな町のエリアには、ひとつの信号機もありません。他町会との境に、一機ぐらい信号機があるのではと、調べてみたのですが、ありませんでした。都会の自治会町会としては、希有と思われます。信号機がなくとも、交通安全の意識は高く、重大な交通事故は経験したことがありません。また、市野倉交番があるからか、みなさんの防犯意識がしっかりしているからか、重大事件も発生していません。その市野倉交番は、前池上警察署所長の話では、管内で一番住民の立ち寄りの多い交番だそうです。犬の散歩の途中、買物帰りの途中、知人宅訪問の途中、ウォーキングの途中、町の人が交番の若いお巡りさんと談笑している様子がよく見かけられます。何となく近寄りがたい警察官と町の人が笑顔で会話している風景は、悪いもんじゃない気がするのは、私だけでしょうか。
季節の変り目は・・・
本門寺の除夜の鐘を聞いていると、いつの間にか太田神社の大拍子に替り元旦祭で年が明けます。
春のお彼岸が過ぎ、宮下児童公園のバーベキューでお腹を満たすと、新学期。子供達もちょつと大人びてきます。
5月上旬、ゴールデンウィークが終わると、太田神社の例大祭。町中がお祭り気分でウキウキとなり、夏となります。
ラジオ体操で夏休みが始まり、盆踊りが終わるとまちおこしの会の「池上まつり」が待っています。
本門寺のお会式の準備が始まり、秋の深まりを実感し、長勝寺のお会式を迎えるころは、冬仕度。
七五三で子供の成長を喜び、歳末の大祓いで一年を締めくくります。
こんな季節感の中で市野倉北町会は年を重ねてきました。当たり前に続けてきたことを大切に、次世代またその次の世代へと渡していきたいと、町会長他役員は思っています。大きなマンションが建ち、建売住宅も増えました。古くから住み続けている方達、新たに住み始めた方達、なにはともあれ、ずーと住んでいたい町にしていきましょう。
市野倉北町会 会則・規約集
令和6年度 市野倉北町会からのお知らせ
納涼盆踊り大会
ラジオ体操の集い
令和5年度 市野倉北町会からのお知らせ
R5 敬老祝い金調査
R5 盆踊り
R5 盆踊り掲示板
R5 ラジオ体操のお知らせと総会報告